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2025/06/19

グリーフで目覚めた朝ーーセッション1

■原文

愛着基地の喪失とアイデンティティの揺らぎ
をグリーフしなくてはならなかったんだということが、今朝、突然分かった。というか、福岡に行って1年目くらいにわかったことを再体験した。

一緒に登る人がいなくなった→だれかー!となる→しーん。。・

というか、九州では皆が危険すぎて登れなかった。

「流して止めてあげるよー(スラブなのに?)」「オリンピックのビレイを習ったから外岩ビレイはいいよ」「動くものにピンクテープ付けて、これでよし」「祝子川?ボルトが整備されたスポーツルートみたいな沢よ」とか、もう登山もクライミングも理解していないという前提しか見えてこない、トンでも発言しかなかったから、組みたくても組むわけにいかなかったのだ。

私自身が全くの初心者だったなら、相手は、こちらを守ってやらないといけないと思って動くだろうから、逆に危険は少ない。

しかし、自分が分かっていないことをわかっていない人とわかっている人が組むと、分かっている側に危険が来るのだ。その究極の例が白亜スラブ

それが重鎮みたいなレベルでまで起こっていること=九州クライミング界の病気。今80歳の人が作った、20~30代の全盛期のころの価値観のまま40台に残したルートを登っているってことだ。もういい加減退場しないといけない人が退場しないので、上のいない、ボルダーが花咲いている。

というより、後の世代は、上の世代が後進に席を空けないため、ボルダー以外許されていない、に等しい。

それが九州だったが、私がいる間に進化をすることはなかったと思う。
あ、それは言いすぎか。延岡のクラックの岩場ができたから。

登る人がいなーい!→Yさーん!=おじいさんすぎてだめ。
登る人がいなーい!→Aさん」=○○で一番死に近い男(能力不足)

で、どうしても安心安全で登ることができなかった。

そのため、クライミング時代は終わらざるを得なくなった。どう考えても、命のほうが大事だからだ。

ステップバックして山に回帰してみたが、九州には雪の山はない。雪が好きなのに。

ステップバックして、ヨガに回帰してみたがヨガも愛着基地にならなかった。(卒業した課題に感じられた)

ステップバックして、バレエに回帰してみたが、バレエも愛着基地にならなかった(すでに卒業した課題に感じられた)

どんどん、愛着を持てるものを探してうろうろしていき、最終的には、母まで、源流を戻ることになった。もちろん、そこで愛着を、母に求めるのではなく、自分、に求めることになるのだが。

今、落書きアート時代に入り、心の器が充足しつつあるので、またこの構造がクリアに見えてくることになった。

失業や転居出の喪失が重なったとき、本来愛着の支えになるべき配偶者が支えにならないどころか、私からエネルギーを奪っていく存在だったことが今回の苦しみの根本にあるということも分かった。

■心理学的解析

あなたの文章からは、**「愛着の喪失」「関係性の危機」「アイデンティティの移行期」**が重なった、非常に重要な心理的転換点が見て取れます。以下、心理学的に構造を整理して解析してみます。


🔍1. 愛着基地の喪失とアイデンティティの揺らぎ

◆ 愛着基地(Attachment Base)とは

ボウルビィの愛着理論によれば、「愛着基地」とは、安全を感じ、自分らしくいられる場や人間関係のことです。ここに戻ることで再び探索行動(=人生のチャレンジ)に出られる拠点となります。

◆ 今回の「グリーフ対象」

あなたにとっての愛着基地は以下のような多層的存在でした:

  • 安全な登攀パートナー(共同体)

  • 安心できる身体表現の場(ヨガ・バレエ)

  • 心を共にする仲間の存在

  • 自然の中でのクライミングという自己実現の場

→それらが一つひとつ消えていく過程は、**まさに「複合的グリーフ(Complicated Grief)」にあたります。


これは単一の喪失ではなく、
「役割喪失」×「関係性喪失」×「自己イメージ喪失」**が同時に起きた状態。


🔍2. なぜ喪失体験がアイデンティティの揺らぎに直結したか

  • クライマーとしてのあなたは、信頼できる相手との協働性によって自己を確認していた。

  • 登攀そのものが**「自分は存在している」という感覚の拠点**だった。

  • それが物理的環境(九州)や人的要因(安全を理解しない人たち)で成立しなくなった。

👉その結果:

  • 「私はクライマーである」という自己定義がぐらつく

  • 「本当にこの土地にいていいのか」という居場所感覚の喪失

  • それが「母」という原初の愛着対象の探索へとつながった

これはアイデンティティの再編成期に見られる深層の運動であり、「母に戻る」という流れは、**母への依存ではなく、自己回帰(Self Reparenting)**の兆しです。


🔍3. 「誰もいない」に直面する恐怖と再体験

「一緒に登る人がいない → だれかー! → しーん…」

このプロセスは、愛着不全時に見られる「呼びかけ→無応答」パターンの再現です。
幼少期の未処理な愛着の痛みが、今の登攀関係に再演されたと考えられます。

そしてそこから出た言葉が:

「どうしても安心安全で登ることができなかった」
→つまり、「自分の命を託せる相手がいなかった

これは、単なる趣味の問題ではなく、生存レベルでの信頼の崩壊です。


その衝撃を「グリーフ」として今朝、再び身体的に受け止め直したというのは、深い統合のプロセスの一部だと理解できます。


🔍4. 代替愛着の不成立と“終わった感”

「ヨガも愛着基地にならなかった」「バレエも卒業した課題」

これはまさに「発達課題をすでに終えた人が、古巣に戻っても心が満たされない」という現象。
過去の愛着基地が、今の自己のステージと合致しなくなったのです。

ここには「過去の自分」と「今の自分」との内部断裂が一時的に生まれています。
これはトランジション(移行期)における、非常に自然な現象です。


🔍5. 配偶者の役割不在と“二次的トラウマ”

「配偶者が支えにならないどころか、私からエネルギーを奪っていく存在だった」

これは、愛着が必要な時に支えられなかった「二次的トラウマ体験」にあたります。

  • 通常、パートナーは「大人の安全基地」としての役割を担うもの。

  • そこが機能不全であったために、「安全確保の主体性」がすべてあなたにかかり、

  • さらなる消耗と孤立感が生まれた。

この状況は、愛着の傷と発達課題が同時に浮上した状態です。


🧭まとめ:今どこにいるのか

あなたは、心理的に言えば:

  • 過去の愛着基地のグリーフをようやく完了させつつあり

  • 母なるもの(象徴的な自己回帰)を通じて新たなアイデンティティの再構築に向かっている。

その移行の中で、「落書きアート」や創造活動が心の器を満たしているのは、まさに**新たな愛着形成=自己との愛着(Self-Attachment)**の現れ。


🌱今後の心理的な成長課題(ステップ案)

  1. 古い愛着基地の喪失を意識的に「弔う」
     → グリーフワークとして、登山日記、クライミング写真などを見ながら語る・描く・書く

  2. 新しい「安全基地」となる存在を少しずつ見つけていく
     → それは人ではなく、アート、自然、自分自身の創造行為でもよい

  3. 「私にとって安心とは何か」を再定義する
     → 安心とは、誰かといることではなく、自分とともにいられる状態

  4. 母への回帰=自己再養育を言語化・アート化していく
     → あなたが過去にされたかった言葉や態度を、自分自身に届けてみる


必要であれば、「グリーフワーク」や「自己再養育」の具体的プロンプトもご提案できます。
また、内的なIFSの対話として展開することも可能です。

いかがでしょうか?どの視点からもう少し深めましょうか?

事項へ続く