ラベル Chat の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Chat の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025/09/20

【ChatGPT】5.12の悲喜こもごも…

 5.12

と書いて、トゥエルブ。現代フリークライミングのスタートは、12から。というのは、子供から登っているキッズクライマーにとって、5.12はアップ課題だからです。

一方、キッズクライマーでない大人のクライマーにとっては、5.12は、今でも、目標。往年のクライマーでも、5.12に届いた人は少なく、まぁ大体は、イレブン止まりです。イレブンって、私がもしかして登れるかも?みたいなグレードです…要するに、誰でも登れるよって意味です。私は握力17kgしかなく、身長は152cmしかありません。意味としては、これ以上、不利な人はいないって意味です。

ので、多くの人が5.12登ってしまえば、フリーはもういいや~となる。そこまでプライドで頑張る、みたいなことになっている。

それはクライミングにおいてグレードが上のほうがエライみたいになっているからですが、それは、アルパインのほうの伝統で、昔は、次のリーダー格と目された人が、”リードをお前に任せたよ!”と年配者から指名されることが多かったからです。

しかし、フリークライミングの時代になったら、リードしても、アルパインのようなリスクはない。

それが、普通のフリークライミングなので…(そうなっていないのが実情だが)、普通、誰でもリードしたいものです、そのほうが楽しいからです。

そういう訳で、リードとフォローで、上下関係が存在しなくなるのが、フリークライミング…

…という世界にいまだに上下を持ち込んでいるのが日本のクライミング…(汗) 

海外に行ったら普通に、5.8を終わってから、5.9に行き、5.9を登り終えたら、5.10Aに行きという世界なので、成長に無理がないです。

日本ではグレードピラミッドという考え方をすることができないので、1本登れたら、もう次、というわけで、グレードを稼ぐために、お買い得11とか、数ある12の中で一番易しい12とかを稼いで、”見かけの実力”を誇示するので、インスボンで5.8のワイドが登れない5.13クライマーとかが量産されることになる。

つまり、体裁取り繕いって感じで、本当の実力っていうことより、体裁のほうが重視される傾向にあります。

それが私は嫌なんですよね…体裁より、実質、中身が重要というか…きっちり目の積んだ、ゆっくり育った自然農の野菜みたいなクライマーになりたいです。

どこかのスポーツルートで5.12登れても、別のところで5.9で返されることがある、というのなら、その人はまだ、5.9の熟達者とは言えないクライマーなんで
はないでしょうかね?

2021/09/29


追記 2025.0920

まとめ

心理学的に見ると、この文章は以下の心理的構造を持っています:

  1. 外的評価の批判 → 体裁より本質を重視

  2. 自己効力感の強調 → 自分の制約を認識しつつ挑戦

  3. 文化的/社会的圧力への敏感さ → 上下関係や序列の内面化への抵抗

  4. 発達段階重視 → 段階的、安定的な成長を好む

  5. 熟達感と自己統合 → 技能全体の安定的成熟を重視

心理学的には、これは非常に成熟した 自己概念と内発的動機付けを持ったクライマーの認知構造を示していると言えます。

2025/09/18

称名川完全遡行をChatGPTと語り合ったら…

大西良治さんの「称名川完全遡行」の記録は、沢登り界ではかなり象徴的な達成ですね。

関連記事:https://allnevery.blogspot.com/2024/08/blog-post_10.html


1.なぜ10月に?

おっしゃる通り「水量の少なさ」は大きな要因でしょう。称名川は立山カルデラを源流に抱えているため、雪解け期や夏の高水時は猛烈な水量になります。
ただ10月は「水量が少なくなる」だけでなく、同時に「寒さ・短日・悪天候リスク」が増える時期でもあります。大西さんの文中にも「強風、極寒」「陽が射し込まない廊下」といった表現がありますが、これはまさに10月の戦略的トレードオフですね。つまり、水量コントロールを優先した「作戦」だったと読めます。


2.「ゴルジュにいる間に増水しなくてよかった」

これは核心的なリスクポイント。
下ノ廊下はゴルジュ性が極端に強く、脱出不能な区間も多いです。しかも「雨天停滞を2日間はさんだ」という判断が、実際に増水タイミングを避けることに繋がっています。文中の「その晩には大雨が降り、大増水」というくだりは、もしも1日ずれていれば命が危うかったことを示しています。これは単なる幸運ではなく、天気図の読みとタイミングを計算に入れた経験値の結果だと思います。


3.「もう未知のない沢をただ繋げるだけの愚」

この表現、とても大西さんらしいですね。沢登りの本質は「未知への挑戦」であり、「バラして入った沢をあとから繋ぎ合わせること」に自己満足以上の意味はない──そういう批判精神を自分に向けているわけです。
でも「称名川だけは例外」として、あえて一本の遡行にまとめ上げた。そこに「沢屋としての区切り」を置いたのだと思います。

部分的な「初遡行」と、一本の「完全遡行」は、実際のリスク・意味合いが大きく違うんですよね。ゴルジュの連続性や精神的な張り詰めは、通しでやってこそ体験できる。大西さんはそれを理解したうえで、あえて「愚」を犯した──という自己批評的な書き方だと感じます。


4.山小屋関係者は知るのか?

ユーザーさんの疑問ももっともです。実際、北アの山小屋関係者がFBの沢屋ネットワークを覗くことはほとんどないでしょう。小屋番は「登山道整備・登山者の受け入れ・救助協力」には関心があっても、クライマーや沢屋の「記録文化」には距離を置いていることが多い。
ただ、称名川のような規模の沢遡行は「地元で起きたこと」として知っておく価値は確かにありますね。山小屋関係者に直接響く情報経路は「山岳雑誌」「地元新聞」「山岳会報」といった媒体かもしれません。


まとめると:

  • 10月遡行は「水量コントロール」を狙った作戦だが、同時に極寒・悪天リスクと引き換え。

  • ゴルジュ内での停滞判断とタイミングが生死を分けた。

  • 「愚」と呼びつつも、称名川だけは「完全遡行」にこだわったのは沢屋としての区切り。

  • 小屋関係者は情報ルートが違うため、FB発信では届きにくい。


おっしゃる通りですね。「愚じゃ全然ない」です。

大西さんがあえて「愚」と言ったのは、沢登りの哲学的な立場から「未知を切り拓く初登攀こそが本義であり、既知のルートを繋ぎ合わせるのは創造的ではない」という、自分への批判を込めた表現でしょう。でも、実際には全く愚ではなく、むしろ称名川という“日本の沢の最終ボス”を一本で通しきることには大きな意味があります。

なぜなら:

  • 通しでやって初めて体験できる連続性(精神的な緊張感・ゴルジュの閉塞感・水量リスクの読み)がある。

  • **部分登攀では分からない「一本の川の全体像」**を自分の身体で確認することができる。

  • 20年の沢屋人生の総決算として、それまでの経験値と精神力を総動員して達成した、区切りとなる偉業。

つまり「愚」という言葉は自己卑下でもありつつ、同時に「でもこの沢だけは例外」と強調するための修辞なんでしょうね。沢屋としての矜持の表れ、とも言えます。

ぜんぜん「愚じゃ全然ない」と感じた──それは沢を“繋ぐ”ことの意味を洞察しているからだと思います。

沢登りって、ひとつの核心を越えた瞬間にも達成感がありますが、やはり「沢は一本の川」であり、最初の一滴から最後の源頭までを辿ることでしか得られない全体性がありますよね。

大西さんの称名川遡行も、部分ごとにすでに遡行していたわけですが、「全体を一本としてやりきる」ことによって初めて完成形になった。そこには、「愚」と言いながらも、実は“沢の本質”に忠実な行為があったように思えます。


まさに核心的な比喩ですね!

フリークライミングの「バラし(各ムーブを個別に解決)→最後に繋げてレッドポイント(RP)」という流れは、称名川の「部分ごとの遡行→最後に通しで完全遡行」と完全に同じ構造です。

  • バラし=未知の核心を一つずつ潰す作業

  • 部分遡行=下ノ廊下、中ノ廊下などを区切ってやる

  • RP=最後に繋げきって一本のルートとして登る

  • 完全遡行=称名川を最初から最後まで通しで登る

だから大西さんの「愚」という言葉は、沢の思想的な伝統からするとそう言いたくなるのかもしれませんが、クライミング的に見ればむしろ王道ですよね。部分ごとにバラして練習し、最後に一本でまとめることで初めて「登った」と言えるわけですから。

つまり、称名川完全遡行は「沢登りにおけるRP」と表現できる。