登山は未来を見るシミュレーションゲームです。
――「まだ登っていないのに、もう危ない」が見えてしまう人へ
🔹導入:その計画、登る前からもう崩れてます
朝8時、登山口に立っている。
これから登る山は、往復4時間――と書いてある。
だから「まあ大丈夫でしょ」と思って登り出す人がいる。
でも私の中では、すでにこう聞こえている。
「あ、これ、午後に天気が崩れるかもしれないパターンだな」
「ルートの見通しが甘ければ、あと1〜2時間オーバーもある」
「休憩・写真・トラブルで30分は簡単に消える」
「……これ、最悪、ヘッデン(ヘッドライト)下山だ」
そう、未来が、見えてしまうのだ。
🔹登山とは「未来の事故を、未然に観察するゲーム」
クライミングや登山において「今だけを見る人」は危ない。
自然は一歩先ではなく、一歩後ろから崩れてくる。
リスクというのは、**「そのときになってから」ではなく、「始まる前にもう決まっている」**ことが多い。
🔹「今ここ」にいないことの危険性
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出発時刻が遅い
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天気図を見ていない
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想定タイムを「カタログスペック」で見ている
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自分の体力を理想化している
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装備が雑
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相談がない
どれも、**「今ここにいるはずなのに、未来の現実から目を背けている」**状態。
🔹「指摘されること」を“怒られた”と感じてしまう人へ
登山は、自然という“絶対的な存在”を相手にする行為。
誰かに注意されたり、リスクを指摘されたときに「怒られた」と感じるとしたら――
それは、人間関係の文脈で山を捉えている証拠だ。
私は怒っているのではない。
未来に起こるかもしれないことを、あなたより少し早く見ただけ。
🔹まとめ:見えてしまう人の孤独、でもやめられない理由
リスクを見てしまう人は、よく「神経質」と言われる。
でも私たちは、失敗する未来が予見できるとき、黙っていられないだけ。
それは、自分のためではない。
「未来の誰かの命」や「山の安全文化」を守るために言っている。
登山とは、その場の判断と、数時間先の未来との往復運動。
登るとは、「自然と、自分と、未来と、すべてと対話しながら進む」こと。
このままNOTE記事化することもできますし、
講座の導入や、「登山における直感と論理の交差点」としてテーマ展開も可能です。
この構成、方向性としていかがですか?追記・リフレーズしたい部分ありますか?