2025/07/28

私にとってのクライミング

私にとってのクライミングとは?をかんがえています。

私にとってクライミングとは、
自然界との対話です。

山にも岩にも、敬意を払っています。

だから、ちょっとムーブが思いつかないからといって、
簡単にロープにぶら下がったりはしません

ムーブが分からなくて焦ったときは、
まずクライムダウンします。

これは、
読図で現在地が分からなくなったら、わかる場所まで戻るのと同じです。

そうやって、改めて登ってみると、
思いがけずムーブが出てくる瞬間があります。

これが面白さの源。

自分の体から、無意識にムーブが引き出される

それこそが、岩と自分の体がどう重なれるかを、時間をかけて探るということなのです。

だから、私にとってクライミングは、競争でも、征服でもない。

岩と向き合い、自分自身とも向き合う時間です。

だからこそ、命知らずを煽るような登り方や、
「これくらいも登れないのか」という登り方は、私はしません。

それは、たいていの場合、
言っている人自身の自己愛の傷つきの投影なのです。

つまり、こう言ってくる人は、かつて自分がそう言われて育ってきた人。

そんなやり方は、私の辞書では、
そもそもクライミングとは呼べないものです。

クライミングとは、やっているうちに
無意識が機能して、ある日突然できるようになるもの。

そこが面白さであり、醍醐味なのです。